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ayafujimatsu

自己紹介その2ー天職はすでに子どもの頃に表れる?

10年もの年月、ライターとしての道を歩んできたせいか、“文学少女”と呼ばれることも割と多い私ですが(少女……????)、正直な話をするとそこまで「本が好き!」「純文学が好き!」「太宰治サイコー!」とか思って生きてきたわけではありません。全然読んだことのない有名作品だって、たくさんあります。


ただ、振り返ると、背景にある“ストーリー”に異様に執着し、興奮する子どもでした。

物語の続きを自分で創作したり、商品パッケージに描かれた挿絵から空想の世界に入り込んだり。はたまた、架空の人物を描き上げて、趣味や家族構成をプロファイルしてみたり(いま思うと完全に「ペルソナ作り」です)。


本に限らず、“ストーリー”に価値を見出すこの個性が、「表現する」「人の心理に訴える」職業を自分に選ばせてきたと言えるかもしれません。

したがって、高校生くらいの頃には「もしも現実的に生きていかないといけないなら*、編集者以外にないなあ」くらいにはおぼろげに目標が固まっていたように思います。


青年期になると、誰しも一度は「自分に向いている仕事はなんだろう」と思い悩むものですが、巷で言われている通り、天職や適職は幼少期に好んでいた遊びや様式に表れているのかもしれないですね。そんな昔のことなんて覚えてない、と思われる方もいるかもしれませんが、そうした記憶は、決して心の奥底に埋もれているような目立たないものではなく、ひとたび探し始めればキラッと光って在処を主張するような“ちょっと違う”もののはず、ですよ。


※「もしも現実的に生きていかないといけないなら」というのは、

それまで将来の夢が「CIAエージェント」、「FBI捜査官」、「UFO研究家」の3択だったからです。(中2の秋に英語のスピーチコンテストで大々的に発表した黒歴史)


※※ちなみにCIAエージェントになる方法がネット記事に上がっていましたので、もしご興味があれば。

「CIAには洪水のごとく志願書がなだれこんでくる。ホームページによると毎月数千人からの応募があるという。」だって。めちゃくちゃ人気ジョブ(笑)。



▲最近はジャック・ロンドン著の『マーティン・イーデン』を読んでいます。文体がガテン系、なのに描かれる情景自体がひたすら繊細で崇高…!


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