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ayafujimatsu

仕事がたまらなく好きな理由

医者の不養生、河童の川流れ。あるいはライターの筆無精?

毎日おおやけに向けた記事を執筆しているはずなのに、なぜ自分のためには筆をとれないのか。お久しぶりです。生きています。



気づけば前回のブログ記事から一年以上が経過してしまいました。

自営業者として新規開拓もしなきゃ、事業も興さなきゃと思いつつ、ありがたいことに編集・ライティング業務の依頼が増えてきており、何かしらの〆切に追われる日々を過ごしています。と同時に、ライター業に徹するあまり「近視的になりすぎてやしないか?」「こなすことだけが目的になってはいないか?」と不安に思う瞬間も多くありました。

そんななか、とある人(Nさん)と一緒に仕事をさせていただいたことをきっかけに思い出したことがあったんです。

私が仕事が好きな理由、それは「自分が持っていない才能を目の当たりにできるから」なのだと。

Nさんは、とあるクライアント企業のオウンドメディアの制作ディレクションを行なっている女性なのですが、本当に作り込みが緻密で素晴らしくて!

構成案ひとつとっても、実際にモノを作り始める前から、一つひとつが細やかに想定されきっているんですよ。ボリュームが多ければ多いほど、専門知識が必要であればあるほど、取材を経てからでないと決められない不確定要素も増えてくるはず。な・の・に!


もちろんクライアントさんの情熱と的確なオーダーのもとでこそ成り立つ高度な技術なのでしょうが、それを差し引いたとしても、ヤベー才能です。雑味のなさがやばい。酒で言ったら大吟醸。


私はそのお仕事にライターとして携わらせていただいていますが、構成案を見ながら「100年かかってもこの人の仕事ぶりには追いつけないな…」と尊敬の念を感じざるを得ませんでした。さらに、「Webメディア=いつでも編集できるモノ=紙よりクオリティが劣るモノ」の図式は、このクライアントさんおよびディレクターさんの場合には当てはまらないと、(お恥ずかしながら)このとき初めて痛烈に感じたのでした。


と同時に、コミュニケーションの場ではいつも「あまり人との関わり合いが得意ではなくて…」と謙遜なさる控えめなNさんの、こんなにも煌めきに溢れた才能を目の当たりにできたことが嬉しくて嬉しくて

そうだ、私は「人の個性や才能」がそのまま活きる社会を作りたくて、人の個性で彩られた社会を見たくて、会社を設立したんだった。本当はそのために、尽力しなければならないのだった。

改めて、原初の志を思い出させてくれた出会いに、心より感謝です。




<ふと思ったこと>

生活に追われ、死に物狂いで生き、本心を忘れた頃に、思わぬ先でふたたび本心と出会う。

あるいは、理想を捨て、現実社会を極めて現実的に生きているうちに、思わぬ形でふたたび自分の理想への希求が蘇る。


こんなことってありませんか?

私は結構ある。だからこそ、うちへうちへと内観していくのも、そとへそとへと勇んでいくのも、結局は同じことなのかもしれないなと思うんです。

内と外は、想像以上につながっているのかも。

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